東京高等裁判所 昭和44年(う)2055号 判決
被告人 今昇一
〔抄 録〕
職権をもつて審査すると、被告人に対する本件起訴状によれば、その公訴事実第二の一において、被告人は、同公訴事実第一記載の日時、場所において、その掲記のような交通事故を起こし、柳谷誠に傷害を負わせたのに、直ちに被害者の救護等法令の定める必要な措置を講じなかつた、と記載されていて、被告人の負傷者に対する救護義務違反等の罪を問うていることは明らかである。ところが、原判決は、罪となるべき事実第一において、その判示するとおり、自動車運転の業務に従事する被告人が、原判示日時、場所において、普通乗用自動車を運転進行中、その過失により、自車を柳谷誠に衝突させて、同人を即死させた、と認定したうえ、その第二の一において、「被告人は、前記(原判示第一)のとおり交通事故を起こし、柳谷誠を死に致らせたのに、直ちに道路における危険防止等法令の定める必要な措置をとらず、」と認定判示し、負傷者である柳谷誠を救護する措置を講じなかつた、ということを認定しなかつたことは、右起訴状の記載に対比し、かつ、その判文自体に徴し、明らかである。
ところで、道路交通法七二条一項前段には、「車両等の交通による人の死傷……があつたときは、当該車両の運転者……は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護しなければならない。」と定められているが、右にいう「負傷者」とは、死亡していることが客観的に一見明白な者を除き、車両等の交通事故によつて負傷したすべての者をふくむものと解するのが相当である。というのは、人の死亡の判定は、きわめて困難な事柄であり、ことに、交通事故を起こした運転者等が、とつさの間にその判定をすることは至難のことであるから、死亡していることが客観的に一見明白な者以外の者については、とりあえず救護の措置をとらせるのが、被害者の救助を全うしようとする同法条の立法趣旨にそうゆえんでもある、と考えられるからである。そこで、本件についてこれをみるに、原判決の掲げている関係各証拠を総合すると、原判示第一のとおり、被害者柳谷誠は、本件事故により即死するにいたつたことは否定できないが、この場合、右柳谷は、被告人車に衝突し、約一三・二〇メートルほどはねとばされて道路中央付近に転倒し、血を出しながら全然動かないような状態になつていたものの、被告人としては、この事故をおこしたのち、道路の反対車線上に出たうえ、方向転回をしていつたんは道路の左端に停車し、前記柳谷が、道路中央付近に倒れているのを自車の窓越しに望見していたが、その状況から推して同人に重傷を負わせてしまつたものと考え、これは大変なことになつたと思つて急に恐しくなり、被害者のかたわらに行つて救護等の措置をとろうともしないで、そのまま再び自車を運転してその場を立ち去つた事実が認められる。したがつて、このような状況のもとでは、たとえ当の被害者である柳谷が、その後医師の検案によつて「即死」と判定されたとしても、それだからといつて、本件当時、右柳谷が、前記事故によりすでに死亡していることが、客観的に一見明白であつた、ということにはならない。
とすると、本件の場合、被害者である柳谷は、たとえ即死であつても、なお、道路交通法七二条一項前段にいう「負傷者」に該当するものといえるから、被告人としては、直ちに同人を救護する措置を講じなければならなかつたことは明らかである。
ところが、原判決がこの点につき、さきのように認定判示したのは、結局、右柳谷は、本件事故により、即死してしまつたのであるから、前記法条にいう「負傷者」に該当しない、との解釈をとつた結果にほかならないものと思われる。
そうだとすると、原判決には、この点において、前記法条の解釈適用を誤つた違法があり、この誤りは、たとえ同一罰条に関するものであつても、判決主文および理由を合わせ考え、当該犯罪の構成要件的評価に直接又は間接に影響をきたす蓋然性があるものと考えられ、結局、判決に影響を及ぼすことが明らかである、といわざるを得ず、したがつて、原判決中、判示第二の一、二の部分については、原判決を破棄すべき理由があることになる。ところが、原判決は、その第一および第二の一、二の事実を併合罪として処断しながら、第一の罪につき罰金刑、第二の一、二の罪につき一個の懲役刑を言渡している関係上、その前者の部分については控訴の理由が認められないが、もし、本件において、右第一の部分だけについて原判決を維持することにすると、被告人としては、併合罪の全部について一個の判決を受ける機会を失うことになり、全体として不利な結果を招くおそれがあるから、結局、その全部につき、原判決を破棄するのが相当である(大審院判決大正一四年一二月二二日集四巻七六九頁、東京高等裁判所判決昭和二八年一二月二二日集六巻一八九七頁参照。)。
(樋口 浅野 唐松)